楽しい歴史クイズ

縄文・弥生・古墳時代

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目次
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  • 旧石器時代
  • 縄文時代
  • 弥生時代
  • 古墳時代

まだ文字もなかった、遠い昔の日本からみていこう。 土の中からみつかった古いせきから、 当時の生活などがある程度わかっているんだ。

旧石器時代

ひょうの日本は大陸とりくつづで、日本人のせんはそのときに渡ってきたと今では考えられている。 せんぜんまでは日本では、きゅうせっだいせきが見つからず、日本に人はいなかったと考えられていたんだ。 ところが戦後、群馬県で いわ宿じゅくせき がみつかり、 せいせっ(石をくだいてつくる)が出てきたことから、旧石器時代に日本に人がいたことがしょうめいされたんだ。

この時代の生活はさいしゅうが中心で、たまに住むところをかえながら生活していたみたい。🐟

縄文時代

次にむかえるのが じょうもんだい。 このころになると氷河期も終わってかいめんすいもあがり、日本は島になっているよ。 あいかわらず食べる物は採集さいしゅうが中心だっけど、 生活が少しずつかわってきた。

  • たてあなじゅうきょ自分たちで家を作り、しゅうらくを作っていた。
  • せいせっ石をみがいてさまざまな道具を作りはじめた。旧石器時代(打製石器)からしんせっだい(磨製石器)になったぞ。
  • じょうもんなわもんようがポイントの土器。厚いけどもろくてこわれやすい。じょうもんだいってこの土器からついた名前なんだね。
  • かいづか人々が食べた貝がらなどが捨てられたつか。動物や人間の骨もでてくるところをみると、ただのゴミ捨て場じゃなかったみたい。こういった遺跡をていねいに調べることで、当時の生活などいろんなことがわかってきたのだ。😤
  • ぐう土でできた人形。ほうりょうを祈るためのものだったと考えられているよ。

このころはまだ、ひんの差がない平等な生活だった。 遺跡をしらべても、争った形跡がほとんどないんだ。😌

弥生時代

次に迎えるのが 弥生やよいだい。大陸から伝わった いなさく が、人々の生活を大きく変えた時代。

狩りと採集の生活は、食べ物があまり保存がきかない。なくなるとしちゃう危険があった。その点稲作は、米の保存がきく。食料をたくわえることで生活も安定し、人口も増えた。

でもね、この稲作が大きな変化をもたらした。 ひん(持つ人と持たない人)ができてきたんだ。 身分の差(偉い人とそうじゃない人)もここからうまれてきた。 みんなで仲良く魚や木の実をとっていたあのころへはもう戻れない…。😞

稲作などに使う便利な道具が増えてきたよ。

  • 弥生やよいじょうもんとは逆で、うすいけどかたいのが特徴。模様はあまりない。
  • きんぞく有力者は てっ を持っていて、工具、農具、武器として使っていた。祭りの宝物ほうもつとして せいどう も使われていたよ。
  • せっいなをつむために いしぼうちょう が使われていた。

この当時の日本にはまだ文字の記録がないけど、 中国の書物に日本について書かれている

  • こくおうは日本のこと。中国の後漢ごかんの時代の「かんじょ」に「こくから使いがきたのでこうていきんいんをさずけた」という記録がある。なんと江戸時代に、福岡県かのしまの田んぼの中から「かんわのこくおう」と刻まれた金印がみつかったんだ。こくは北九州にあったと考えられているよ。
  • じんでんこちらは中国の三国(しょく)時代の記録だ。3世紀ごろの日本には大小30あまりの国があること、たいこく には女王 がいること、に使いを送ってきたこと、うらないやまじないで政治を行っていたことが書かれている。邪馬台国の場所だけど、北九州説と大和説があって、まだわかっていないんだ。

古墳時代

大和やまと地方(奈良県)のごうぞくが国土の統一を進めて、大和やまとせいけん をつくっていった。

  • おおきみ大和国家の王。「だいおう」と読むこともある。天皇てんのうと呼ばれるようになるのは飛鳥時代以降だ。
  • せいせいうじ」は同じ先祖を持つ一族の名前、「かばね」は職業別の名前。かばねには「おみ」や「むらじ」などがあった。ちょうていおおきみ)からうじかばねを与えられることで、しょくが与えられ、大和やまとせいけんの役人としてみとめられたわけだ。
  • ふんおおきみなど有力者のおはか。四角いほうふん、丸いえんふんなどさまざまな形のお墓があった。四角と丸が組み合わさった ぜんぽうこうえんふん というのもあって、中でも だいせんふんにんとくてんのうりょうふん )は有名だ。
  • ふくそうひんふんにいっしょにめられたほうもつや道具だ。儀式に使っていたかがみたまつるぎや、鉄製の武器、武具、農具などがあった。古墳の上には はに などの土の人形がおかれることもあった。

大和政権のころの、朝鮮半島・中国とのおつきあいもみておこう。 このころの朝鮮半島は、こう新羅しらぎ百済くだら、そしてみま)地域の小国が争っていた。日本は百済くだら伽耶かや地域の国々を応援し、それを足がかりに朝鮮半島南部へ進出しようとしていたんた。

そのためにそのむこうの大国である中国(当時はなんぼくちょうだい)へ、朝鮮半島でのけんを認めてもらうために、おうとして使いを送ったりもしたよ。

  • らいじん大陸から日本に定住した人たち。優れた文化や技術を日本に伝えたんだ。漢字、じゅきょうなどの文化や、(かたい土器)、はたに加えて、かんがいや土木技術なども入ってきたよ。
  • ぶっきょう百済くだらおうから大和やまと朝廷ちょうていへ、仏教のきょうてんぶつぞうおくられてきた。遠くインドで生まれた仏教が、中国・朝鮮をへて日本へ伝来でんらいした歴史的瞬間だ。😲
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