江戸時代②
長かった江戸時代。 大きな戦乱はなかったけど、こまかい政策がたくさんあった。ひとつひとつ丁寧にみていこう。
綱吉の政治
5代将軍 徳川綱吉 の政治からみていこう。
- 朱子学儒学の中でも身分関係を大切にする 朱子学 を広く学ばせた。
- 生類憐みの令極端な動物愛護政策。
- 正徳の治財政難で貨幣の質を落として物価高をまねいてしまったが、儒学者である新井白石の意見を取り入れ、もとにもどした。
享保の改革
8代将軍 徳川吉宗 は武士に質素・倹約をすすめるなどして、財政の立て直しをはかった( 享保の改革 )。
- 上げ米の制大名に参勤交代をゆるめる代わりに米を納めさせるようにした。
- 公事方御定書 裁判の基準を定めた。
- 目安箱 庶民の意見をひろく聞けるようにした。
がんばりもあって財政難は一時的に改善した。
社会の変化
社会にもいろいろと変化があった。
農民はこれまで自給自足だったんだけど、農具や肥料を買うお金💰が必要になってきた。お金が集められなかった人😢は、土地を手放して 小作人 になったり、都市に出稼ぎにでたりした。その逆にお金を集められた人😊は、土地を買い集めて 地主 になるなどして、貧富の差が広がっていったんだ。貨幣経済、お金の時代になったんだね。
産業の形もかわっていく。
- 問屋制家内工業18世紀にはやった生産方法で、①問屋が前もって織機やお金を貸す②できた商品を安く買いとる、という方法。
- 工場制手工業(マニュファクチュア)19世紀にはやった生産方法。大商人や地主が工場を作って人をやとい、分業で商品をつくらせた。
事件もおきた。
- 百姓一揆農民が、年貢を減らしてくれ、悪い代官をクビにしろ、などと大名に反抗すること。
- 打ちこわしこちらは都市部。米を買い占められて物価が高騰したことに怒った町人が、米屋などの大商人を襲った。
両方とも命をかけての行動だ。食べ物がなくなってしんじゃうんだから後がない。
田沼の政治
18世紀後半、老中 田沼意次 が、当時活発になった商工業を利用して、財政の立て直しをはかった。
- 株仲間の奨励株仲間は商工業者の集まり。商売の特権を与える代わりに、税を取った。
- わいろ政治 「わいろ(賄賂)」は「自分にいいことがあるように、こっそり送る金品」のことだよ。これが横行したんです…🫠
- 天明のききん「ききん(飢饉)」は「食べ物がなくなり、人々が飢えて苦しむこと」。全国で百姓一揆や打ちこわしが起きて、田沼意次は辞めさせられてしまった。
寛政の改革
1787年、混乱の中老中になった 松平定信 は、祖父 徳川吉宗 を手本に改革を始めた( 寛政の改革)。
- 学問の統制 昌平坂学問所をつくり、朱子学以外の学問を教えることを禁じた。
- 農村の復興出稼ぎで都市部にでていた農民を故郷に帰した。各地に倉を作り米をたくわえさせ、ききんに備えた。
- 武士の救済旗本、御家人が借りていたお金を帳消しにした。
いろいろがんばったんだけど、きびしくしすぎて人々の反感をかって失敗に終わった。
諸藩の立て直し
地方も財政難で大変だったけど、立て直しをがんばったよ。
藩専売制
特産品の生産を奨励し、藩が専売した。うまくいった藩はおサイフが復活。藩札
藩内だけで使える紙幣。家臣の俸禄をこれで払うなどした。
薩摩藩、長州藩などは藩専売制などを通じて力をたくわえ、雄藩とよばれ幕府に対して大きな発言力を持つようになったよ。
新しい学問
- 国学 日本古来の伝統文化を明らかにする学問だ。本居宣長 が大成し、幕末 の尊王攘夷運動にも影響するよ。
- 蘭学オランダ語でヨーロッパの学問や文化を学ぶ。 杉田玄白 らはオランダの解剖書を翻訳した 解体新書 を出版し、 伊能忠敬 はヨーロッパの測量技術で正確な日本地図を作ったよ。
- 陽明学朱子学への批判から生まれた学問で、日本では中江藤樹が広めたよ。
教育も人々に広く普及しはじめた。
- 寺子屋町や農村でよみ・かき・そろばんを教えた。🧮
- 藩校それぞれの藩が準備した学校。武士に学問や武道を教えた。
- 私塾大阪に緒方洪庵の適塾、長崎でシーボルトの医学塾など、各地に蘭学塾ができたよ。
化政文化
19世紀始め11代将軍徳川家斉の時期に、 文化の中心が上方から江戸にうつった。 元号の文化、文政から一文字づつとって 化政文化 という。こちらは庶民の文化で、江戸から始まって地方に広がった。
- 浮世絵 喜多川歌麿 (美人画)、 葛飾北斎 、 歌川広重 (風景画)らがすぐれた作品を残したよ。
- 狂歌、川柳世相を皮肉ったものが流行した。
- 文学 十返舎一九 の「 東海道中膝栗毛 」、 滝沢馬琴 の 「 南総里見八犬伝 」などが人々に読まれた。
- 俳諧 与謝蕪村 は風景を絵のように表現し、 小林一茶 は人々の素朴な感情を詠んだ。
外国船の出現
幕末にはロシアだけでなく アメリカ・イギリスの船が近づいてきて、 薪水給与や、 通商をしろといってきたが、 幕府は強気で突っぱねていた。
- 異国船打払令通商をことわって、日本に近づく外国船はすべて打ち払うこととした。
- 蛮社の獄異国船打払令や鎖国を批判した蘭学者の 渡辺崋山 や 高野長英 を処罰した。
天保の改革
1830年代に天保のききんがあって百姓一揆と打ちこわしがたびたびおこり、奉行所の対応に不満をもった役人の 大塩平八郎 が大商人をおそった( 大塩の乱 )。役人の反乱に幕府大ショック。
1841年に幕府の力の回復をはかって老中 水野忠邦 が 天保の改革 をおこなった。
- 倹約令ぜいたく品の禁止、風紀を乱す風俗や出版を取りしまった。
- 株仲間の解散独占が物価の上昇をまねいていたので解散させた。
- 農村の復興江戸に出稼ぎにきていた人たちを故郷に返したよ。
- 上知令幕府の強化をねらって、なんと江戸と大阪を幕領にしようとした。これに大名、旗本が猛反対し、失脚の原因となったんだ。
江戸幕府もいよいよ終盤。ここから先は国内だけでなく、 外国とのやり取りが大きく影響してくる。


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問題 | 採点 | 問題 | 採点 |
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第 1 問 | ○ × | 第 6 問 | ○ × |
第 2 問 | ○ × | 第 7 問 | ○ × |
第 3 問 | ○ × | 第 8 問 | ○ × |
第 4 問 | ○ × | 第 9 問 | ○ × |
第 5 問 | ○ × | 第 10 問 | ○ × |
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